杜のブログ
杜運営サイトの更新記録と、日記です。
クドクド書くと長くなりますので、、、
前回の続きですが、このさい結論からすると・・・
祖父が再婚する際に、祖父自身が籍を抜いたと思われる。
祖父は他界してますし祖母も90歳を超えているので、今更確認するにも。
・・・と言うのが周りに意見で、それでも皆が仲良くやっていたのなら、祖母と叔母が生きている間はさほど問題も無かっただろうし、私に叔母の足を火葬場に持っていく役割が回ってくることも無かったんですけどね。
歩ける距離に住んでいながら、ず~っと前から祖母と叔父は相当な不仲です。
しかも祖母と籍が違うという事実が発覚したのがごく最近で、実は伯父・母親と祖母との間には血のつながりも無ければ戸籍上、まったくの他人。
けれど祖父の血が半分繋がっている関係上、祖母に対して扶養義務のある叔母が扶養できない状態になった時には伯父が祖母を扶養しなくてはならないらしいです。
先述しましたがこの2人には長年の確執がありますからね~。
伯父としては感情的に大いに拒絶したいところだろうし気持ちもわかりますが、だからと言ってじゃあ私が・・・って簡単な問題では無く・・・。
人ひとり面倒見るって、実はすごく大変な事なんだとつくづく実感しています。
で、まぁそんなゴタゴタが大嫌いな父親が、私があまり出羽る事を良しとしなかった。というのが結局叔母の足へと繋がるのです。
書けばもっと色々とあってキリがないのでこの辺りでこの話題は切り上げましょう。
話題が変わって、実は近々太陽光発電をつけてオール電化にする予定です。
相見積もりが今日終わって、現在最終価格を取っている最中なのですが、人生最大のお買い物は“家”。
次いで“車”だったのですが、それよりは大きなお金が動くので、ちょっと気がそっちに逸れてます。
設置はほぼ確実なのでまだご報告しますね。
戸籍。
初めて書くように思うのですが、今ちょくちょく病院に様子を見に行っている叔母のお母さん・・・。
つまり普通なら私の祖母になる人物なのですが、実は私とは血が繋がってません。
祖母と母親とも繋がってません。
血の繋がった私の祖母は母が小学生の時に他界していて、その後祖父が再婚して生まれたのが叔母です。
今回叔母が緊急入院してしまった時に、必要があって叔母の戸籍抄本を取りに行った時のこと。
祖父も随分前に他界していて、叔母は結婚してません。
なので戸籍筆頭人が祖母の抄本を取ればいいんだろうな、と思いつつ役場に行って分からない部分があったので受付で訊くと、他界していても戸籍筆頭人は変わらないらしく祖父の名前を書きました。
抄本を必要としている叔母の名前も書きました。
代理人である私の名前も書きました。
再度受付に持っていくと、私が何者だ・・・という話しになります。
“戸籍謄本・抄本は直系の方以外には発行できません”
と張ってありましたからね。
娘で有れば問題ないのですが“姪”は微妙な立場です。
説明するうちに祖父だか祖母だか自分でも混乱しながら、とにかく納得して頂いて、ようやく手にした抄本の叔母の俗柄を何気に見て、
“長女”
との記載にあれれ?
伯父・母・叔母
の順番なはずなのに何故に叔母は長女なん??
これはまさしく偶然見た戸籍で事実を知るって、あのシチュエーション。
・・・長くなったので、後日へ続けます。
更新もブログもペースがまた落ちてますね。
ぼちぼちでも活動してます。
もう少しお待ちください_(_^_)_
気にかけて頂いているかは分かりませんが・・・。
慢性腎不全による症状は人工透析を続けることでそれなりに落ち着いたのですが、その後1週間ほどしてからでしょうか。
もともと糖尿病による壊死を起こしていた(小指はもう切除済み)左足先の壊死の進行が進んでいて、左足の甲の激痛を叔母が訴えた時にはすでに腱がが見えてしまっている状態に・・・。
想像すると非常に痛い絵ですが、説明して頂いた主治医の先生のあまりの絵の下手さにいまいちピンと来なかったのは事実です(~_~;)
糖尿病って(末端の?)神経なんかも鈍感にするらしいですね。
多分健常者なら耐えられないような痛みも、気付かなかったりするんだそうで。
とにかくほっておくと壊死が進行してしまうので、今度もまた割り込みオペ。
緊急で話しを聴くことが出来る近い身内が私しかいなくて、病室で先生から渡されたオペの説明書っていうのか解説書?
どっちも違うかもしれませんがそこに記されていたのは、
“左下腿部切断”
左膝から下、切り落とします。ってことです。
GWのかかりだったので説明を聴いた翌々日がオペだったでしょうかね。
「オペの日も来るからね」
と帰り際に伝えると、
「切った足、火葬場に持って行ってくれるで?」
・・・ちょっとショッキングな言葉でしたね、いろんな意味で。
結局は持って行ってないんですが、その辺りの経緯はまた今度。
ドタバタと、、、
前回の日記で“叔母の容体が・・・”と書いておきながらですが、遊びに行ったと言えばそうなると思います。
順序的にはオペの話しが先ですが病気の話ばかりも何ですのでGWのお話しを少し・・・。
近頃、主人の仕事が忙しく、休めるはずのGWは3,4日と仕事が入ってしまったので、
「そんな真ん中に仕事入れられたら何処にも行かれへんやん!」
と腹立ちまぎれにJRの切符を購入しました。
チケットが取れなければ諦めたのですが、2日前でもどうにか福岡行きの指定席が取れたので決行です。
徳島(特急うずしお)→高松(快速マリンライナー)→岡山(新幹線のぞみ)→小倉
ってルートですが行きは乗り継ぎが良く、4時間弱で福岡入りしました。
今まで福岡なんて土地の話しを書いたことが無いのに、実は隠れ福岡ファンだった・・・ってわけではなく、妹一家が4月に福岡へと引っ越したのです。
GWに運転を交代しながらでも福岡に行こう。という話しが立ち消えになったので、主人を置いて子供たちと3人で行ったわけです。
福岡に行きましたが博多ラーメンは食べる機会がなく、でも馬刺しとあさりが美味しかったです。
スペースワールドとグリーンワールドってところに行って響灘を見ながらお風呂にも入って来ました。
妹一家は大きな古い団地(社宅)に居を構えているのですが、団地内の公園で遊んでいた娘はカラスに頭を蹴飛ばされてしまいました。
これもまた、思い出ですかね(^^ゞ
急変。
私の母親の妹・・・つまり私にとっては叔母に当たる人なのですが、2週間ほど前になるかと思うのですが緊急入院しまして。
と言っても、もともと高血圧を持っているうえ20年近く糖尿病を患っているのでここ何年かは入退院の繰り返しではあったんです。
長男にあたる伯父が近くに居るのですが、その奥さん(つまり義伯母)がアルツハイマーでほっておけない状態ですし、私の母親は関西に居てますから、機動力のある私がとりあえず入院の用意等々をするために病院に行ったんですね。
上記してますが入退院を繰り返しているので、朝から病院に行けば午前中に事が済むと思っていたのですが・・・。
結論から書くと、このとき叔母は生死にかかわる状態にはなっていたのです。
「ほっておくと3,4日もすると死んでしまいますよ」
病室にやって来た担当医師の話しで、初めて私も、
“え? そんなに悪い状態?”
って思うくらい現状を皆が把握してない状況に叔母はあったんですよね。
まぁ糖尿病がらみの慢性腎不全で、透析をすれば落ち着くという状況でもあったので、その後私が必要な物の買い出しに行っている間に、透析用の管を通すためのカテーテルを入れるオペをして、戻って来た時には人口透析室で寝てました。
取り合えず透析をすれば徐々に容態は良くなるとのことで、その翌日は私の両親もやってきたりもして、
「週1回くらい様子を見に来るね~」
なんて感じだったんですけどね。
約2週間後の今はまた、別のトラブルが起こってたりします。
明日、またオペをすることになってしまったので付き添う予定になってます。
4月は学校行事も多いので忙しい日々のままGWに突入ですね。
更新はしばしお待ちを・・・。